「大奥妖斬剣」その8


 「大奥の全女性を面通ししたい? ……まあ、お局様が許可されるのなら不可能ではありませぬが……」
 伊織の要求を聞いた香苗は少し沈黙してからそう答えていた。
 事ここに至ってもなお、要らぬ不安を抱かせぬために、大奥の女性達にはあやかしの一件は伝えられていない。将軍にもこの件は伝えられておらず、上様は今宵も能天気にお世継ぎ作りに励むのである。
 大奥の女性達は、互いに面識を持とうとしない為、千枝と志乃の一件は誰も知らぬままであった。
 千枝の身の回りの世話をしていた数名の腰元達は、今は城内の一室に監禁されている。
 今回の件が終われば、薬や術で千枝という女性の記憶を消されて、大奥に戻されるのだ。
 ひどく特殊な、幾重にも閉じられた女だけの世界……それが大奥であった。
「この一件の捜査が内密に進められているのは存じていますが、事は急を要するのです。複数の大奥の女性があやかしに篭絡されている可能性があります。どうかご協力いただきたい。……香苗殿にはお手数ばかりかけるが」
 元通りの女武芸者の姿に戻った伊織の強い口調に押され、香苗は渋々ながら局への連絡を引き受けていた。
 本来なら伊織も同行すべきなのだろうが、局はどうやら伊織に御執心の様子で、出向けばなんのかのと理由を付けて必ず閨の相手をさせられてしまうであろう。
 それを疎ましく思った伊織は多忙を理由にして厄介な交渉を香苗に任せたのだった。
 香苗も無碍に断れず、局の館へと出向いていた。
「ふう……さて、ダメだった場合の準備をしておくか」
 香苗を見送った伊織は、半紙の束と硯箱を所望し、なにやら護符のようなものを書き始めた。
 大奥には全国各地から多数の美女が集められている。
 将軍……この国のかりそめの支配者の後継ぎを産む為だけに選別された、容姿端麗で若く健康な女性達ばかりである。
 大奥入りする女性の選別には政治的な思惑も多分に絡んでおり、大名の息女や裕福な商人の娘がコネを利用して取り入る事も少なからずあった。
 もちろん、大奥入りが決まった時点で親子の縁は切れており、人別帳(戸籍)からも抹消されている。
 大奥の女性は、将軍のものなのである。
 とは言っても、全ての関係が途切れる筈も無く、娘を大奥入りさせた商人が御用商人として取り立てられたり、妹が大奥入りした地方の郷士が高い禄高で大名の家臣になったりと、何がしかの見返りが有るのは当たり前であった。
 おそらく、大奥の全女性のうち、十人以上が元大商人や地方の郷士の娘だろう。
 その中にあやかしに憑依され、今回の一件にかかわっている者がいる筈なのだが、何分、伊織が見た淫夢の中の出来事だけに、説得力のある説明が出来なかったのである。
 伊織を信頼している香苗ですら半信半疑なのだから、余人を説得できるとははなから思っていない。
 それでもやらねばならぬのであった。

「……それはならぬ! 決してならぬぞ!」
 香苗の具申を受けた局は、開口一番、そう叫んでいた。
「何故に!? これは大奥の……いや、幕府の一大事にございまするぞ!」
 臥していた顔を上げ、香苗は思わず叫んでいた。
「事を他の女子どもに知らせる訳にはゆかぬのじゃ! ……女子どもの中には、いまだに主家と縁の切れておらぬ者もいる。この事が知れれば、大奥無用論を展開している副将軍派の勢力が増すだけじゃ! そのような事は許さぬ!」
 その年齢からは想像もつかぬ若々しい美貌を不快そうに歪め、局は叫ぶ。
(結局、この方は大奥さえ無事ならそれで良いのか……事を包み隠し、闇から闇へ葬って……それで、もし、あやかしが上様に害を成せば何とするのか?)
 平伏したまま、香苗は唇を噛み締めていた。
「それに、そのほうの話では、事の起こりは伊織殿が見た夢のお告げじゃと? そのようなものにどれだけ信が置ける? ……伊織殿がここに出向いて、事の詳細を説明するのが筋であろう」
 口元にいやらしい笑みを浮かべながら局はさらに言う。
 一度味わった、伊織の極上の肉体の味を胸の内で反芻しているかのようだった。
「のう、香苗……伊織殿をここに呼ばれよ。さすれば、じっくりと話を聞いてしんぜよう」
 局は好色な光をその目に宿して言う。
(閨の中でですか?)
 と、問いたいのを香苗は堪えた。
 局が伊織の妖しい魅力に魅せられているのは香苗も判っていた。
 彼女もまた、伊織に心引かれている者の一人だったので、そのあたりの心情は判ってしまうのだ。
 古来より、ふたなり女性の精は、不老長寿の妙薬として珍重されてきたという。
 導引術を用い、その美貌を保つ事に執念を燃やす局が、伊織を見逃す筈が無かった。
 老中の息がかかった人物なので、あからさまに権威を振りかざして同衾を迫るような事はしていないが、今回の事で老中が失脚でもすれば、後ろ盾を失った伊織を、いかなる手段を用いてでも己が物にせんとする事は明らかであった。
(自らの欲望のためには、大奥を……いや、幕府を危機にさらしてもかまわぬというのか? ……伊織殿の言うようにこのお方も一種のあやかしだな)
 香苗は平伏したままそう思っている。
「伊織殿を連れて出直して参れ! それまで、今回の申し出は留め置く!」
「かしこまりました……しかし、伊織殿は多忙の身なれば……」
 不首尾に終わったことを伊織に報告せねばならぬ己の無力感に唇を噛みながら、香苗は言上した。
「なればこそ、早期解決の糸口としての面通しを依頼してきたのであろう? いつでも良いぞ。伊織殿をここに連れて参れ」
 局は、暗い淫欲の焔をその瞳の奥に燃え立たせながら、香苗に命じる。
「そのように伊織殿にお伝えします……では、これにて失礼つかまつります」
 香苗は局の屋敷を辞し、重い足取りで帰り道を行く。
 結局、役に立てなかった……。そういう思いがある。この事を伊織に伝えたら、彼女はどうするだろう?
 局に弄ばれるのを承知で、彼女のもとを訪れるだろうか?
 香苗の脳裏に、局にいいように弄ばれる伊織の裸身が浮かぶ……それは嫉妬と、そして妖しいときめきをも伴っていた。
「はぁ……伊織殿……どうすれば……」
 妙に女っぽいため息を一つつき、香苗はつぶやく。
 その頃、伊織は数十枚の護符のようなものを書き終え、畳の上に寝転がって一休みしていた。
「恐らく、局様は私を呼び出してくるであろうな……」
 疲れた目を休めるために濡れ手ぬぐいで目を冷やしながら彼女はつぶやいた。
 そして、呼び出しに応じれば、否応無く閨の相手をさせられてしまうだろう。
 香苗を交えた淫靡な交わりで、伊織の精の味を知ってしまった局がどう行動するのか、伊織には良く判っていた。そして、彼女の身体を味わうたびに、その執着が増してしまうであろうことも……義理の姉との不義で、伊織は己の肉体の業を思い知らされていた。
「面通しは諦めざるを得ないか……あのお方の寵を受けるのも気が引けるしなぁ……」
 大きくため息をついて目の上の手ぬぐいを取った伊織は、天井を見上げながら憂鬱そうな声を出す。
 局の導引術を交えた愛撫は、確かに骨の髄まで蕩けそうな快楽を与えてくれる。
 しかし、一方的に搾取される感覚には、彼女は耐えられなかった。
 それは、愛欲などではなく、あやかしが若い女性を嬲るのと何ら変わらぬ、淫らな食事じみた行為だった。
 しばらく天井を眺めていた伊織は、やがて目を閉じてしばらくまどろんでいた。廊下を静かに進んで来る足音をは捉えて目を開ける。
 その気配は、香苗のものだった。足取りの重さから交渉の結果を悟った伊織は、小さくため息をつきながら起き上がり、少し乱れた髪と襟元を正す。
「……伊織殿」
 障子の外から、香苗の声がかけられた。
「どうぞ……嫌な用を頼んでしまい申し訳ない……やはりダメでしたか」
 入室してきた香苗に伊織は声をかける。
「はぁ、残念ながら……局様がおっしゃるには、伊織殿直々に参られよ、と」
 香苗はそう言って、伊織の方に真っ直ぐな視線を向ける。その目が『行くな』と言っていた。
「やはりそう来ましたか……正直言って、あの方の所に私が出向けば……」
 嫌そうな表情を隠そうともせずに伊織は思案する。
「ええ。必ず、閨の相手をさせられてしまうでしょう。それは伊織殿の望む所では無い筈……私も嫌です!」 
 思わずそう言ってしまい、香苗ははっと目を伏せていた。
「失礼! 私情を差し挟んでしまいました。……とっ、とにかく、伊織殿にとっては……その……何かと差し障りがあろうかと……」
 少し頬を染めながら言う香苗を黙って見つめていた伊織は。
「仕方ありませんね、お局様のおっしゃる事も判ります。どこの誰とも知らぬ私などが、いきなり面通し等すれば、何かがあった事を悟らせてしまうでしょう。面通しの件は諦めます」
 伊織はそう言って、書卓の方に向き直り、一枚の護符を手にしていた。
「未熟ながら、こういう護符を作ってみました。これは、あやかしの気を活性化させるものです」
「なんと!そのような事をすれば……」
 驚く香苗に。
「人に憑依したあやかしは、その状態を保つ為に妖気を内に溜め込みます。この護符は、そうした妖気を活性化して溢れさせる効果があります。これを大奥内部に張り巡らせて結界となし、あやかしの気を帯びた者を特定します」
「では、早速配下の者に命じて貼らせます。して、配置はいかように?」
「五行結界の陣はご存知か?」
 伊織の問いに、香苗は頷く。
「では、その作法にのっとっていただきたい。全部で五十枚ありますから、二枚は余る計算になります」
 退魔士の間では比較的一般的な結界の張り方を、伊織は指定していた。
「あ、香苗殿!」
 護符の束を手に部屋を出てゆこうとした香苗を、伊織が呼び止めていた。
「はい。何か他にお言いつけがあれば……」
 そう言う香苗に。
「用が済んだら、またここに戻って来て欲しいのだが……」
 何故か少し恥ずかしげに伊織は言う。
「ええ。もちろん首尾の報告に参りますが……」
「その……今夜は一緒にいて欲しいのです!」
 思い切ったように、伊織は早口で言っていた。
 香苗の返事が無いので。
「……香苗殿……?」
 少し不安げに伊織は香苗を見つめる。
「……よろしいのですか? ……わたくしごときで、本当に……」
 香苗は返事を渋っていたのではなかった。
 伊織の突然の申し出に、意識が混乱していたのだ。
 それは、驚きと言うよりは、歓喜の為であった。
「済まぬ……他に頼める人がいないのです……ふしだらな奴と笑ってやって下さい。昼間成敗したあやかしの淫気が、まだ私の身体を責めさいなんでいます……このままでは、あやかしと対峙した時に、思わぬ不覚を取るやも知れません。私を助けると思って、何卒、閨のお相手を……」
 そこで伊織は悲しげな表情を浮かべて言葉を続ける。
「それは……それは、こんな事をお願いする理由の一つではありますが、もし、淫気の残滓が無くとも、私は……」
 言いよどむ伊織に、香苗がそっと寄り添っていた。
 手には伊織の書いた護符を包んだものを持っている為、抱きつくような事はしない。
「嬉しゅうございます。喜んで、夜伽のお相手を勤めさせていただきます。お粗末ではございますが……」
 かすかに震える声でそう告げる。
 抱き合いもせず、自然と二人は唇を合わせていた。温かく柔らかな朱唇の感触が互いの唇に伝わってきた。
 伊織は香苗が胸に抱えていた呪符の風呂敷包みを取り上げ、彼女の身体を抱き寄せて密着する。しなやかな少女武芸者同士の身体が絡み合い、お互いの体温と、高鳴る胸の鼓動を伝えあう。
「んんっ!」
 喉の奥でうめいた香苗の唇を、伊織は強く吸っていた。かぐわしい吐息が口腔を通り抜けて肺に流れ込み、両性具有の少女剣士の胸を甘く疼かせる。
 かすかに開いた香苗の口腔内に、伊織は舌を滑り込ませた。甘く蕩けた少女の口腔内を優しくなぞり、震える舌を包み込むようにして唾液を吸う。
 硬く目を閉じた香苗の喉の奥から、泣くような歓喜の声が漏れた。
「……伊織殿……これ以上は今はお許しを……」
 蕩けかけた理性を総動員して香苗は甘美な口付けから脱し、言葉を発する。
「ああ、もうしわけない……己の淫情が抑えきれなくて……かように浅ましい状態になってしまっているのです。ご勘弁を」
 伊織も香苗から離れて頭を下げる。
 普段は颯爽とした空気を身にまとっている伊織でさえ、あやかしの淫気にあてられて、己の淫欲を制御できなくなっているのである。
「お気になさらずに。この呪符を配下のものに渡し、手順を説明したらすぐに戻ってまいります。そのおりにはご存分に……」
 恥ずかしげにそう言った香苗は、呪符の包みを持って足早に出て行った。
「はぁ……この程度の淫欲を抑えきれぬとは、わたしもまだまだ未熟だな」
 大きくため息をついた後、自嘲たっぷりの口調で伊織はつぶやき、畳の上にゴロンと横になって目を閉じる。
 脳裏に浮かんでくるのは、じきにやってくるであろう香苗との甘美なひと時の光景だった。下腹の一物が重く熱く疼くのを感じながら、伊織は初心な少年のように胸高鳴らせて香苗の帰りを待っていた。


 続く

大奥妖斬剣07                       大奥妖斬剣09
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